第4章 誕生そして挫折
最初の紹介では、誰も相手にされなかった私は、この世紀の発明が実際に、実現可能であるということを立証しようと考えた。つまり、「世界最長のLED電球ができる事を、形にして見せてやる。現物を見れば皆もきっと驚き、この良さをわかってくれるに違いない」と考えた。
私は、幸い“世界の工場”である中国華南地区にいた。街には大小の工場が、たけのこのように乱立しており、世界中のあらゆる製品がここで生産され、出荷されていた。つまり、『ものを作る』という事においては、非常に便利な場所にいた。
しかし一方で、中国における最大の懸念は、『情報の流出』及び『技術レベルの低さ』でもあった。この両方を解決できるパートナーが必要であったが、それは、私の知る限りにおいて、実現不可能のように思われた。特に、『情報の流出』については、限りなく不可能ではないかと感じていた。
もし仮に、潤沢な資金や大きな注文でもぶら下げることができれば、お金の力で多少はそれを得る事はできるかもしれないが、私は、どちらも全く持ち合わせていなかった。
結局は、何もアクションも出来ず、注意深く次の機会を伺うしか方法がなかったのである。
そうしているうちに、ここに一つの運命的な出会いが訪れる。この出会いは、中華圏においては何よりも大事な『人と人の絆』の関係に発展し、その信頼関係は今も全く変わっていない。
彼との出会いは、ある台湾人の紹介であった。私は、実は、最初は心の底では信用できない中国の会社ではなく、台湾系の人脈を使っての商品化の道を探っていた。なぜなら、台湾は、技術的にも本土に比べてもレベルが高く、西洋風のビジネスの文化が通じるためである。
その台湾の知人から、中国人にしては珍しく、責任感もあり、高い技術レベルを持っている間違いのない人物がいるという紹介を受けた。もともとその台湾人を信頼していた私は、早速、その彼に会いに行くこととなった。
彼は、私よりも10歳近く若く、色白で神経質そうな顔をしていた。英語もほとんど話すことができない上、彼の中国語はとても早口、かつ専門用語が多く、聞き取るのにとても苦労した。彼は、ある小さなLEDの会社の技術責任者をしていた。LED業界に詳しく、商品や技術的な知識、業界動向にも精通していた。何よりも、価格重視(本当は利益重視の騙し合い)の業界の実態に対して憤りを感じていることは、話していてすぐにわかった。
私は、彼の人柄に惹かれると同時に、信頼のおける嘘のない人物であるという直感を持った。そしてその直感は、現在に至るまで変わることがなく、むしろ事あるごとに強化されている。私は、彼に電解コンデンサーレス・テクノロジーの話をした。彼の目は輝いていた。そして、是非、その開発を自分にやらせてほしいといった。もちろん、私は了承した。私は、彼に回路図を渡し、日本にいる北島との電話会議の約束をして別れた。
数度にわたる電話会議を行った結果、私たちの技術のコアを理解した彼は、作成すべき電球の仕様を私に確認すると、しばらくして最初のサンプルを持って来た。
明るさ、寿命、大きさ、全てにおいて当時のLED電球の最高レベルに位置する素晴らしい商品であった。当時の市場に出回っていた同型の商品に比べると、2世代先まで先行している素晴らしい出来であった。
ついに、私は、過去、全く誰にも相手にされなかった理想の技術を、サンプルとはいえ、現実に形にする事ができたのである。しかも、美しいフォルムと誰もが追随できない性能を伴って!
私は、その商品を目にして、興奮を抑えきれなかった。自分の力で商品を作ったという充実感と、今まで誰も目にしたことのない夢の技術がその中に入っているという高揚感で、なんとも言えない感動を持って、しげしげとその商品を見つめた。まさに自分の子供のように愛しい存在に思えた。
そして、こう思った。「これは、間違いなく売れるだろう。皆が喜んで買い求め、業界内でもきっと有名になるに違いない。なぜなら、本当に半永久的に光るかもしれない人類の希望の光なのだから!」
私の夢想は、どんどん広がっていった。なにしろ、捨てられることもなく、資源の無駄遣いもない、電気消費も少ない、まさに21世紀型の照明なのである。
しかし、間も無く私は、世の中の現実の厳しさを痛いほど思い知らされ、またもや、あっという間にそんな夢物語は打ち砕かれる事になる。
現実問題として、私はすぐにその完成したサンプルを世の中にお披露目しなければならなかった。形にできた以上、わざわざ、価格以外に興味がない中国のメーカーに持っていく必要もないと考えた。
そこで私は、作るためではなく、この技術を世の中に広めてくれる販売面のパートナーを探す必要があった。しかし、これほど特徴があり、現在の業界の課題を解決する事ができる商品であれば、噂が噂を呼び、すぐに市場に広まるのではないか、そんな楽観的な期待を持っていた。そこで、知人の、知人の、知人の紹介のような形で、LEDの販売をしている方と巡り会い、彼のルートで紹介、販売活動をしてもらうことになった。
早速、数個の商品サンプルを彼に渡し、今か今かと良い知らせを待っていた。しかし、全く何の連絡もこない。しびれを切らして、督促のメールを入れても、『現在、紹介している』の一点張りで、その後、なんの音沙汰もないという状態が続いた。
その間、多少の注文は来たものの、また、音信不通の状態が半年ほど続いた。私は何が起こっているのか全く理解できなかった。
「なぜ売れないんだ?」
苛立ちとともに焦りが出てきた。
「説明が十分ではなかったのか?」「無名ブランドだからなのか?」「やはり価格なのか?」「代理店へのマージン等の条件が悪く、真面目に販売活動してくれていないのか?」いろんなことを考えたが、海外でただ待っているだけでは、理由もわからず、自ら動きをかけることができず、ただただ、確認の電話とメールをして、待っているしかなす術がなかった。
そのうち、販売を依頼している会社からの回答内容が変わって来た。私からの強烈な販売のプッシュに対抗するように、要求が、“価格を下げてくれないと売れない”という要求に変わっていったのである。
それは、
「誰も長寿命など欲していない、価格が全てであり、価格が高すぎて売りにくい」
という事であった。
全て自社のカスタム仕様で細々と作っているだけの商品が、大量生産の安物のLEDと価格で対抗できるはずもなく、とてもではないが、これ以上価格を下げる余地など全くなかった。(後でわかったことだが、その代理店は私からの購入価格の3〜4倍で販売していたのだが)
「また(価格)か!」
私は悔しかった。
最初の製造を依頼した時に価格を言われ、今回は、営業の第一線にも、全く同じことを言われたのである。川上と川下から同じ事を、時を経て、またもや、このコンセプトと技術が、完全に否定されたのである。
私は、自問自答を繰り返した。
「本当に、たったこれだけの価格差で、半永久に光るかもしれない電球は、いらないのか?」「本当に、この技術は世の中に必要とされていないのか?」「本当か。本当か。本当か…」
私は何度も心の中で繰り返した。繰り返せば繰り返すほど、それは、本当ではないように思えて来た。そして、考えていくうちに、少し違った解釈が浮かんで来た、そしてそれは、今まで、その『価格』という言葉を聞くたびに感じた“違和感”の理由がわかったような気がした。それは、違和感というよりも匂いに近かった。
それは、私が何度も耳にしてきた、『1円でも高いものはいらない』という言葉の本当の意味は、『1円でも私の取り分が減らされるような商品は、要らない』という意味だったのではないのか。つまり、コスト低減要求の本当の意味は、お客様に届けるためというよりは、自分の利益を最大化したいためなのではないのか、と。
そう考えると、今までの自分が感じていた違和感がすっと消えるような感覚になっていったのである。
しかし、それは、経済行為を行う上では、極めて当たり前のことでもあった。そんな当たり前の事すら気がつかず、ひたすら待ち続けた私は、単なる世間知らずのお人好しだった。そして、別の言い方をすると、私は人のふんどしで自分の理想を押し付けようとしている薄っぺらな正義感を持った存在にすぎなかった。